夢十八夜

「第十八夜」

 

 彼はいつも長い黒髪を丁寧にといていたし、彼はいつもロッキングチェアーに揺られながらクラシックを聴いていた。

 

 少女は彼という大人が周りの誰とも異質であるようすを幾度となく見かけるのだが、彼という大人から気味悪さを感じとることはおそらくなかった。

 周囲の大人は彼という大人のウワサバナシを時々口にしては眉をしかめ合っていたが、少女から見た彼という大人はシルエットで、むしろ周囲の大人たちこそ、彼の家にひしめき合っている猫たちと同じようだと感じられるところがあった。

 彼という大人は捨て猫を拾い集めていたようだ。少女の家とは隣家だったから、むろん少女の家の屋根や干し場や車庫、そちこちに隣家の猫らは現れた。片目に深い傷を負う独眼竜、紫色の神秘的な瞳を持つ美しい猫にはヒヤシンスと名付け、闊達に飛び回る茶トラは弁慶と呼んだ。入れ替わり立ち替わる猫ら全てに名を付けるのはむつかしかった。増え続け消え続けるから少女は猫らを把握出来ずにいた。

 さて、彼という大人は猫らよりずっと大人しく、言葉を発さなかった。少女は隣接する二階の窓から見えてしまう彼という大人がいつか前触れもなくこちらを向いてニヤリと笑ったりしないだろうか、または睨みつけてこないだろうか、と気を揉んだこともあったが、少女のレンズに映る彼という大人はいつでも窓の方を見ないから、その腰まで伸びた黒い髪と、やや肉厚の比較的大柄なシルエットだけがいつも巨大な蝋燭のように揺れていて一向に定まることはなかった。

 開いた窓は少女の部屋の出窓と少女の家の屋根を隔ててすぐだから、内部はよく見えたがヨソノモノをあまりじっくりと知ってはならないような道徳めいた自制心が少女の片目をつぶらせた。

 

 片目で見えたもの。

 部屋の中央に大きなロッキングチェア、それは藤の揺り椅子であった。彼という大人が針を置くと回り出す烏色の円盤からはとりわけリストが流れ出す。少女はその頃クラシックピアノを習っていたから漏れ聞こえる音に不快感はなかった。しかしあるとき少女の母はこう言った。

「お隣のゆうれいはきっと頭が良過ぎて変なのよ。むつかしそうな本ばかり読んでいるらしいもの」

 どうやらボランティアの仲間に聞いたようだ。彼という大人の借りにくる本は専ら哲学書の類らしい。そのせいか、少女の母親は哲学書を彼女に買い与えたことはなかった。名作好きの母だのに、少女に沢山の本を与えた母はついに一冊の哲学書も与えなかった。

 

 田舎町の真夜中には澄んだ空気と少しばかり輝く星に川のこえやパチンコ屋のネオン、自販機の灯りに集まる虫の羽音。それくらいのものしかなかった。しかしそれだからこそ彼という大人はそのさびれた夜の中をさまようのかもしれなかった。彼という大人は何故日なかを歩かないのか、彼という大人はいつ頃じぶんの世界から日なかを切り離したのか。

 

「だからアレはジヘイショウというのよ」

「夜中の二時頃キイキイ音がしてね」

「うちも見た見た、そろっとカーテンをめくったら自転車でふらふらして」

 

 深夜の散歩の何がそんなに悪いのか。少女はぼんやりおもった。真夜中にこっそり食べるラーメンがとびきり美味いのと似てるんじゃないかって。思うことごとには口をつぐむ。だって思ったことごとを口にしたら否定される、それだけは分っている。

 

「回覧板を届けてくるわ」

「駄目よ、ゆうれいが出て来たらどうするのよ」

 

 大人は「変」に気付いていないよ。煙草を買いに行かせるのに回覧板を届けちゃいけないの?

 

 少女がどうしても行くときかないものだから、それならじぶんも行くと言って母親はつっかけを履いた。

 

 彼という大人の住む家は松の木に囲まれてひっそりとした玄関先にいつでも数匹の猫が丸まって目を細めている。

 

「こんにちは」

「どうも」

 

 出てきたのはおばさんと二匹の白い猫だった。木綿と絹。少女は直ぐに名前をつけた。回覧板を手渡す時おばさんは少女の顔を見たがにこりともせず、その顔からなにかとくに際立った表情は見つけられなかった。

 

 

 少女は今、夜風に乗じて走るペダルの回転音を聞いていた。リアキャリアに尻をつけ、腕は、そう、彼という大人に触れるのはためらわれ、やはりリアキャリアにつかまっていた。眠る草花に語りかける月光。民家の庭先から香るマグノリア・ココ。彼という大人は信号を無視して速度を上げた。無言のまま川沿いを漕いでいる。昼間、濃く強く茂る夏草はもたれ合い、舗装されない道端にクマゼミの死骸が落ちていた。

 

 タララ、タララ、と歌う声が瞬く間にトラックの音にかき消される。

 

「なんのうた?」

 

 少女が聞いても何ひとつ応答はない。あれは河川敷に眠るホームレスのうただったのかもしれない。少女はいつも別の可能性を想像することで自ら慰める。

 

「おはよう」

 隣室から母が来て、少女の部屋のブラインドを上げ、窓を開ける。

「ゆうべは良く眠っていたわね」

 ステレオから低い音が流れている。

「またラジオをつけたまま寝たのね」

 少女が応えないでいると、隣家から大音量のパガニーニが漏れ出した。

「うるさいわね」

 母は出窓に身を乗り出す。隣家のシルエットが今日はふたつ、せめぎ合うように揺れている。

「さ、あなたは朝食のあとピアノのお稽古でもなさい」

 

 彼という大人ももう、すし詰めになった猫たちに喰われている。リストのしらべは猫たちを落ち着かせることなく寧ろ狂騒に駆り立て、彼という大人を創作したアダムとエヴァはマジョリテイとマイノリティの両側にある狂気に晒されて立ちつくす。

 

 閉ざされた頁の中に居るミシェル・フーコーだけが、そのすべてを睨み続けていた。

 

 



 

 

#ミシェル・フーコー

 

ナポレオン=ボナパルト

 フランス革命直前の五月、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンボン大学の受講生であった。この頃革命に対して周辺君主国は反発。とくにオーストリアマリー・アントワネットが囚われ、つよく反発していた。
 王政を倒す革命など認めない。連合国の総司令官は、≪革命政府が国王一家の髪一本にでも触れたら、パリとフランス全土に血の報復を加える》と宣言。
 ところが反フランスの中心となるべきオーストリアはまたも皇帝の交代という事態にあった。
 王政に対する思い入れがないナポレオンは、マルセイユに移住し、ロベスピエールの弟オーギュスタンと知り合う。テルミドール派はバラスを国内軍司令官に任命し、ナポレオンはバラスの副官となって暴徒を鎮圧した。
 1796年から1797年にかけて、ベートーヴェンナポレオン・ボナパルトという名をしっかりと認識する。フランス大使ベルナドットは自国の英雄ナポレオンについて、ベートーヴェンに詳しく話した。ベートーヴェンフランス革命の理念に共鳴していたので、革命を完成させようとしているナポレオンに共感を抱く。1796年5月、ナポレオンの第一次イタリア遠征は、フランス軍が強行渡河に成功すれば勝利、それを撃退すればハプスブルク帝国軍の勝利という、目的が明白な戦いだった。
 ナポレオンの周囲には、参謀総長ベルチェや、第二統領・帝国大尚書長として留守居役をつとめたカンバセレスのような聞き分けのよい人物ばかりでなく、ナポレオンから独自の意見を求められたのは、外務大臣タレランと警察大臣フーシェであった。
 タレランは大貴族名門の長子である。彼は落馬事故により爵位継承権を失い、父の命で聖職者にさせられるが、オタン司教区には赴かずヴェルサイユの宮廷で享楽的な日々を過ごしていた。革命が始まると、タレランは全国三部会議員となり、教皇ピウス6世を激怒させた数々の教会改革を主導した。
 一方、フーシェは教育を主な任務とする修道会オラトリオ会の会士であったが、革命に身を投じた。反革命容疑者に砲撃を加えて全員を処刑し、『リヨンの散弾虐殺者』と呼ばれた彼をロベスピエール咎めたが、テルミドール事件を主導して自分が生き残ったという強者である。
 アベ・シエイエスは、自分の計画にナポレオンの人気を利用することに決めた。アベは僧侶の意味で、彼は聖職者出身であった。第三身分の代表として三部会に選出され、アンシャン=レジームを批判。1799年10月、ナポレオンはシエイエスに会った際、こう囁かれる「私とデュコと貴方だ」しかし、ナポレオンはそのクーデタ計画に取り込まれることを危惧した。
 ナポレオンの計画は議会主導のクーデタであり、三段階で構成されている。
①議会の危機を口実として、立法府の移動を求める。
②現職の五人(シエイエス・デュコ・バラス・ゴイエ・ムラン)から辞表を提出させて執行権の空白を伝える。それを埋めるために新憲法制定を含む新方針を受諾させる。
③総裁全員の辞職による執行権の空白は、総裁5名の選出によって容易に埋めることができ、新憲法制定に必然性がないこととする。
 結果ナポレオンに取り込まれる形で進むことになったシエイエス改憲派のクーデタ計画。セーヌ県執行委員のレアルは、ナポレオンの熱心な支持者であり、計画の実行日はブリュメール一八日が好適であると進言した。
 フーシェは一味に加わらないが、摘発はせず、むしろ親近感を増していた。カンバセレスも計画を知っていたが、好意的な中立を保っていた。
 ナポレオンは議場で白熱した議論を展開する議員連中がキライだった。議会や議員に対するナポレオンの不信、あるいは衆愚政治ポピュリズムに対する嫌悪は、共和8年憲法の定める選挙制度にも色濃く反映されている。

* * *

 ドュゼ将軍はオラトリアンが運営する士官学校を卒業後、軍に入った。オラトリアンとはカトリックの司教と信徒たちが共同で暮らすコミュニティで、唯一、慈善による結合を旨としていた。ドュゼはストラスブール出身の3人兄弟で、兄と弟は王政派であった。
 1796年のライン戦にオーストリアのカール大公が参戦してくるが、ジュールダンの別動隊モロー軍の撤退の後衛を務めたドュゼは、その後イタリアのナポレオンに会う。ナポレオンはドュゼをひっさらうようにしてエジプトに連れて行く。ドュゼはカイロを攻略した後、上エジプトを制圧し、この地の統治を任される。彼は現地の人々から「正義のスルタン」と呼ばれ慕われた。
 二度目のイタリア遠征時、マレンゴの戦いを大勝利だとうそぶくナポレオン、しかしこの戦いは敗北すれすれであった。ナポレオンは重大なミスを犯す。敵主力が北方ミラノに向かうために渡河点を探して、自軍から離れるように行軍中だと誤認して渡河を阻止、決戦を強いるねらいで自軍を三つに分けた。この予想は外れ、敵主力部隊はフランス軍司令部がある東方へ進撃。敵将メラスは優位の笑みを隠しきれずにいたかもしれない。
 この危機をドュゼ将軍が覆す。ドュゼは後方から大規模な戦闘の勃発を告げる砲声を聞くと、ナポレオンの当初の命令を無視して駆け戻って来た。ハプスブルク帝国軍にとって予期せぬ奇襲である。身を捨ててマレンゴの勝利をもたらしたドュゼ。
 タレランやフーシェが期待していたように、ここでナポレオンが敗れていれば、歴史の流れは大きく変わっていただろう。
 ホアキン=フェニックス演ずるナポレオンは、躍動する四肢と、蒼く燻り続ける炎を閉じ込めた眼差しが良く。ジョゼフィーヌと出逢ったときの台詞「This is my uniform.」には、彼の魅力がよくパッケージされていると思う。
 1804年12月、パリのノートルダム大聖堂で行われた戴冠式のシーン。十字をきる司祭は動いている絵画のようで、感動してしまった。

 ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン!
 ナポレオン即位のニュースを聞いて、激怒したのがルートヴィヒ=ヴァン=ベートーヴェンである。彼は『ボナパルト』と題した交響曲の表紙を破った。ナポレオンが皇帝になったのは、神聖ローマ皇帝に並ぶ者となった、との宣言であり、オーストリアとの全面対決の決意をあらわにしたことでもある。となれば、フランスへ行ったらベートーヴェンは二度とオーストリアには戻れないのではないか!彼は二者択一を迫られて、ウィーンを選んだ。ベートーヴェン交響曲第三番≪英雄≫は、50分に近い大作であるが、これはナポレオンを描いたものではない。

* * *

1805年の凍てつくロシア戦。ハプスブルグ帝国軍の主力を率いてヴェネチアに出陣していたカール大公は、ナポレオンがイタリアに向かわずまっしぐらに首都ウィーンをめざしたことを知ると急遽北上を開始する。ところが、フランスのイタリア方面軍の追撃をうけてハンガリーへ転進。その隙にナポレオンはウィーンを占領した。北の軍事大国プロイセンは中立を保っていたが、中欧におけるナポレオンの敵対行動に苛立ちを募らせていた。ナポレオンはプロイセン外交との謁見に応じたが、最後通牒の手渡しを阻止してプロイセンの参戦を先延ばしにさせた。
 ロシア・オーストリア連合軍は、アウステルリッツ村西方広野の高台に布陣している。
 12月2日の早朝、プラッツェン高地の麓を厚い霧が覆った。それはフランス軍右翼を補強するために戦場へと馳せ参じてくるダヴの第三軍団を中心に、フランス軍の布陣の詳細を敵の目から隠した。
(なんかおかしいぞ)
 皇帝が2人も司令部に詰めているが、責任の所在が明確でない首脳間に動揺が広がる。
 ナポレオンは予備兵力に命じた。
「高台に登って攻撃し、敵部隊を分断せよ」
 この時、前触れなく厚い雲が晴れていく。
 連合軍部隊は、包囲されかねなくなった。更に総司令部を守る戦力は、事実上、ロシア皇帝近衛隊を残すのみ。連合軍は敗北の瀬戸際にある事実を、突然、輝く太陽の下に突きつけられたのである。

 映画ナポレオンでは、このアウステルリッツのシーンは見どころである。
 1806年、ナポレオンはフランスの保護下にライン連邦を組織し、西部ドイツをハプスブルク家プロイセンの影響力から切りはなす。これによって神聖ローマ帝国は有名無実化し、ハプスブルク家はその帝国をオーストリア帝国に再編することを強いられた。

* * *

 大陸体制を構築し、いわばフランスが盟主となりヨーロッパ大陸ブロック経済化を進めようとし、同時に同盟諸国にイギリスとの通商を禁じる大陸封鎖を強いたことにより、封建的特権は廃止され、営業の自由が確立した。革命なしにフランスがその後も経済発展を続けられた可能性は低い。
 大陸体制とは、周辺の国々をフランス産業の市場及び原料供給地に仕立て上げ、それらを搾取してフランスの繁栄を遂げようとするものだ。大陸体制はナポレオンの発案ではなく、ロベスピエールを失脚させたのち実権を掌握したテルミドール派にさかのぼる。
 シャルル=ドラクロアは、政策を進めるため、フランス工業の市場とするべく地域を探した。彼は主に貿易商人の意見を聞き、スペインに接触し、1797年からスペインの宰相ゴドイと交渉を始める。当時のスペインは同盟国で、被征服国ではなかったため、ゴドイは不当な申し出を断固拒んだ。
 1806年10月、プロイセンはイエナ=アウエルシュタットの戦いでナポレオンに破れ、ベルリンが占領される。ナポレオンはベルリン勅令を発して、大陸封鎖の開始を宣言した。
 統治においてナポレオンは、人々に『パンとサーカス』を熱心に与えた。失業対策として大規模の公共事業で貧しい人々に仕事を与えて民衆を満足させた。国家主催の祭典では、食肉を中心とする豪華食材やワインを配給し、パレードやコンサート、一等に豪華な賞品が出る運動会(これは誰もが参加できた)花火やイルミネーションといった娯楽で、多くの市民に喜びをもたらした。

* * *

 トルストイの『戦争と平和』を通じて知られたボロヂノの戦いは、ナポレオンのロシア遠征である。ロシア軍総司令官バルクライは、敵軍をロシアの内奥に引き込む戦略を取って、ナポレオンに何度も苦汁をなめさせた。バルクライは決戦を避けて撤退するばかり、その上、ツァーリの怒りを買って総司令官を解任される。その後釜のクトュゾフは、モスクワ川の流れるボロヂノ村近郊の広野を決戦の場として陣地を築いた。
 戦闘開始後、ナポレオンの指揮にかつての鮮やかさはなかった。前線のフランス軍は不満を抱きつつも、激戦に身を投じた。ネ元帥の奮戦により、動揺をみせたロシア軍に対し、ナポレオンは最後の勝機を見過ごすことになった。
 ロシア遠征から命からがら逃げ戻ったナポレオンは、徴兵繰り上げなどの無理を重ねてフランス軍を再建、苦境を打破するため弱体化したフランス軍部隊を率いてドイツに出撃するが、ライプツィヒの戦場に砕け散る。

* * *

 エルバ島での蟄居を強いられていたナポレオンは、ナポレオン戦争の「戦後処理」のために開催されながら、列強間の利害対立が激化したウィーン会議での抗争を見誤った。彼は自分が調停者としてキャスティングボードを握れると誤認したのである。
 当時、エルバ島はナポレオンの脱出を警戒するイギリス艦隊によって封鎖されていたが、偶然封鎖が解けた瞬間にナポレオンが船を出したため、フランス本土への上陸に成功している。ナポレオンの迎撃に送られた陸軍部隊は次々と寝返り、ルイ18世に「逆賊を鉄の檻に押し込め、御前まで引っ立ててまいります」と見得を切ったネ元帥まで「皇帝万歳」と叫びナポレオンに合流。
 ルイ18世はベルギーへ逃亡し、ナポレオンは皇帝としてパリに凱旋した。
 1815年6月、ナポレオンは百日天下でヨーロッパ全体を敵とする戦いを強いられるが、その決着をつけた戦場がワーテルローであった。ナポレオン戦争はここに終結する。敗戦の将ナポレオンをフーシェが出迎え、ナポレオンは二度目の退位に応じた。
 国民から憎まれ、過去の人になったはずのナポレオンを取り巻く事態は、1821年51才での死去以降、徐々に変わり始める。
 島から帰還したラス=カーズが1823年に、『セント・ヘレナ回想録』を出版すると、フランス国民の間で大ヒット。暗黒伝説は消え去り、文豪ユゴーも反ナポレオンの立場を捨てて、ナポレオン伝説に熱狂。この変化により、復古王政の時代錯誤、とくに言論の自由の制限に代表される民衆の反発はつよく、ナポレオンを讃える声が相次いだ。
 三百人のエキストラ、百頭の馬、砲撃。無数の壮麗な絵画が織りなすような映像である。英雄か悪魔か、というフレーズをナポレオンひとりに纏わせてはいけない。


―了―


参考・引用文献 図説ナポレオン・松嶌明男 河出書房新社


#ホアキン=フェニックス
#Joaquin'sOscarSpeechWithJapaneseSubtitles(QwertyTriceps)

 

 

 

アナンケ

 戯曲は面白い。スタン、スタンと、作者が鉱石を掘り出すように岩を割る音が聴こえる。

 カジモドはゼウスの妻ヘラに捨てられたヘパイストスを思わせる容貌で登場し、彼の扶養者である副司教のクロード・フロロとの間では二人にしか分からない身ぶりの言葉を通わせる。さながらヘレンとサリヴァンのようだ。
 若き劇作家のピエールと美しいジプシーの娘エスメラルダの出逢いは、ヨカナンとサロメに似ていたが、娘は王女ではないし、ピエールの首にキスを浴びせ狂う程にはピエールを愛していない。咄嗟の人助けに過ぎなかった。
 作中では、罪なき者たちが罪に問われ、思い込みたがりの人々は彼ら無垢の罪人に悪態をついた。人々はイミテーションの目を光らせ、ジプシーの娘エスメラルダは鞭打たれるカジモドに、水を飲ませる。
 赤ん坊の頃さらわれた、このジプシーの娘と、捨て置かれたカジモドの対比がふたりの生をより強烈に炙り出す。
 ジプシーの娘エスメラルダが若い劇作家ピエールを助けた時、宿なし集団のボス、クロパンはワインの入った大きな壺を割るが、このとき壺は四つに割れた。そこでエスメラルダとピエールは四年間だけ夫婦になってしまう。

 フランス革命後、キリスト教厭忌のなか、四年の間、キリスト教にまつわるものが破壊され、ノートルダム大聖堂も内側はボロボロになった。カトリックの『神は大聖堂にいる』は百聞は一見に如かずで、後のプロテスタントに繋がる『神は聖書のことばにいる』は、百聞ということか。フランス革命以降ナポレオン参上までの歴史は面白い。
 時はもっとさかのぼるが、クリストフォロスという男がいた。彼は権力のある主人を求めて、国王や悪魔に仕えたが、隠修士がこの男に川の渡し守になるよう進言する。
 漱石夢十夜・第三夜もパロディとして在るが、この夢十夜が面白いので自分もひとつ書いてみた。

***

 海の上を歩いている。確かに水面を歩いている。只不思議なことには鉄の外套を羽織っている。裸足の指で水を掻き歩いていると、海鳥が傍へ飛んできた。
「身軽そうだな」
「貴方も直になるさ」
 姿は赤茶けた海鳥に違いないが、まるでしっかり言葉を話すオウムのようである。しかも対等だ。
 見渡す限り海と空である。陸はない。波はほぼ無く、時々遠くの方でしぶきが上がる。
「鮫が来るね」と、海鳥が耳もとで言うから
「どうしてわかる」と、聞いたら
「だって貴方、ほら、足を怪我して血が流れているじゃないか」と答えた。
 すると鮫が果たして二基の背びれを水面に突き上げた。
 自分は大海を少し恐れた。こんな海原を歩いていては、この先どうなるか分からない。どこかに船は出ていないだろうかと辺りを見ると、水平線のかなたに大きな船が見えた。
 あそこへ歩こうと考え出す途端に、ふうふう笑う声がした。
「どうして笑う」
 海鳥は返事をしなかった。只、
「貴方、不安になってきたね」と聞いた。
「不安ではない」と答えると、
「今に不安になるよ」と言った。
 自分は黙って船を目標に歩いた。群青のうねりが時々足をとらえて中々思うように進めない。
 しばらくすると風がすっかり止んだ。海は静かになり、陽光を浴びた水面がちらちら輝いている。
「何かいるね」と、海鳥が言った。
 成程群青に黒い影が差した。直立する大きな背びれが浮上する。シャチなのか。急に汗が噴き出した途端、何かに足を取られたようにずんと腰まで身体が沈んだ。
「怖がらんでいいさ」と海鳥が言った。
「この鉄は脱いだほうがいいだろう」と聞いたら、
「しかし脱いだら直ぐに喰われるね」と答えた。
 嫌なことを言うと思いながら、自分は背びれの動きに怯えながら、腕でそろそろ水をかいた。腹の中では、ただの海鳥が何故こうも指図してくるのだろうと考えながら、自分たちと違う方角に向かう背びれを見送って歩いた。
「あたたかいな、いくらか浅瀬に入ったのかい」
 身体は再びくるぶしの浸かる程度に浮上していた。
「さあね、そんな気がするんだろう」と言って、海鳥は自分の周りを旋回した。ヒュルル、ヒュルルと鳴いている。何だか厭になった。どこまでついて来るのか、早く船へ行って鉄籠にでも押し込めてしまおうと思った。
「もう少し歩けば解る。 ― 丁度こんな景色だったな」 と耳の後ろで独りごとのように言っている。
「何がだ」
「何がって、知っているじゃないか」
 海鳥が嘲る。すると何だか知っているような気がし出した。しかし判然としない。只こんな景色であったように思える。そうしてもう少し歩いたら解るように思える。解っては大変だから、解らないうちに海鳥の首を絞めてしまって、安心しなくてはならないように思える。
 水平線に赤い陽が沈みはじめた。海原はだんだん黒くなる。殆ど夢中である。只わたしの頭の周りに海鳥がくっついていて、そいつが自分の前世たった今とこの先をことごとく映し出し丸裸にする鏡のように光っている。鉄の外套が先ほどよりも重く感ぜられて息苦しくなった。
「着いた、着いた。あそこだ、あの船首の処だ」
 風を受ける帆音の中で、海鳥の声が響いた。十数の櫂の前に髭面の男たちが立っているのが見えた。
「海賊討伐を命じたね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「17世紀の終わりだろう」
 成程17世紀の終わる頃らしく思われた。
「お前が俺をギベットに入れて吊るし、見せしめにしたのはあの船だったね」
 自分はこの言葉を聞くや否や、ひとりの男を絞首刑にしてひと型の鉄の檻に入れたという自覚が、忽然として頭の中に起こった。闇の海原をつんざくような笑い声が響き渡った。それを聞いて大きな不安が頭をもたげた時、わたしの身体は海に沈んだ。

 

#ノートル=ダム・ド・パリ
#夢十夜
#セントクリストフォロス

#ノートルダムの鐘

 

争いより愛を

 窓の外に流れる中洲の街を眺め、前日の夜に見たニュースのことを思い出していた。
 戦禍の子ども達は、腕に自分の名前を書いていた。それは死んだあと自分達のことを知らせる為だと話していた。私はひどく苦しい気持ちになって、しばらく涙がとまらなかった。
 ここ一カ月程で身の回りに起こっていた小さき人・幼い子たちのいじめ問題と、戦禍の子ども達との連想に、気分がふさぎがちだった。
 タクシーを降りてコンサート会場に着くと、こんどは胸がどきどき弾み出して、感情のふれ幅を少し恥ずかしく思った。
 同じ音楽家のコンサートに足を運ぶのは、一度読んだ本をまた開くのと似ている。
 今夜、私はフジコ・ヘミング氏の奏でるリスト・3つの演奏会用練習曲3番変ニ長調「ため息」を聴く間、ずっと涙を流していた。思い入れのある曲でもなく、前回のコンサートでは、ちがう楽曲に涙していた。
 「どうしてなのか分からない」だからこそ素晴らしい体験をさせてもらっていると感じて、愛するピアニストに心の底から感謝する。
 休憩中、隣に座っていた若い女の子から話しかけられたので、ピアノにまつわる雑談を楽しんだ。二部に入ると、ベルガマスク組曲「月の光」を、フジコ氏はとても軽やかに弾いた。やわらかく、あたたかい音色に背をさすられるように癒される。後半はショパンエチュードが続いた。個人的にフジコ・ヘミングが今夜一番輝いたのは、幻想即興曲だと思った。息をのむほどの音色だった。ずっとこの音色に包まれていたい、ずっとこうしていたいと願うほどだった。
 人は等しく老いるし、生き物はやがて死を迎える。それぞれの人は、その人その人が出逢うすばらしい年長者に気づく幸福を持っている。
 一人の人間を愛したら、その人を育んだ周りの人々にも感謝のきもちが湧くことがある。だから、一人でも多くの他者や生き物を、一時間でも一年でも愛せた時間は、かけがえない。


―了―

#ため息(3つの演奏会用練習曲S・144-3)(リスト)
#フジコ・ヘミング

 

 

映画所感🎞️

 ミア・ファローといえば、1978年版のナイル殺人事件を観た時に初めて知り、何だかこう内臓に掴みかかってくるような演技をする役者さんだなぁと思っていた。

 今夜は『フォロー・ミー』という映画を鑑賞し、思わず飛び跳ねた。良い良いではないのォ

 ミア・ファロー演じる愛らしい妻ベリンダは、地位も財産も申し分ない英国上流階級に属する夫との結婚生活に、わびしさを抱えてロンドンの街中をひとりさまよっている。

 しきたりの中に、妻の心まで閉じこめようとする夫に抵抗する妻が欲しいのは、お互いの心を自由に愛すること。ささやかな愛。すれ違う夫婦の間に登場するクリストフォルーは、ベリンダの夫が妻の不貞を疑って雇った探偵だが、この彼、非常に魅力的だ。

 尾行一日目。ベリンダはピサの斜塔と名付けられたパフェを食べる。偶然にもこれはクリストフォルーの好物でもあり、彼も同じものを食べる。ここにポワロが居合わせたなら、三人並んで同じパフェを食べるかしら?と、私は妄想を楽しむ。

 ケンジントン・ガーデンズで愛らしいピーターパン像を眺めるベリンダを眺める探偵。

 そのあと映画館では2本立てホラー映画を×2回、なんと620分見続けるベリンダから一瞬目をはなし、映画館の外へ出て買い食いする探偵。けわしさとか疑り深いまなざしとかそういうのは彼にはない。

 カリフォルニアでヒッピー暮らしの経験ももつ自由な精神を備えるベリンダは、夫の周辺にある空気から逃れて、ひとりイルカのショーを見たり、パブで踊ったりするが、振り返るといつも自分の後ろにクリストフォルーの姿を確認し、始めは気味悪がっていた。

 ある時、探偵は尾行を先導に切り替え、面白い通りの数々をベリンダに教える。シカ肉通り・ビネガー広場・フィッシュ通り。アルカイックで陽気なパントマイムを繰り広げる彼に心惹かれるベリンダ。ハンプトンコートの庭園迷路を無邪気にかけ回るふたりの姿は、何故だか天使の遊戯みたいだ。言葉はない。ただ笑顔と無言の合図で、ゆで卵の殻を割るシーンは最高に良い。

 

 探偵が夫婦にさずけた案は、語らず、一定の距離をもって、いつも一緒にいること。人間同士にはむずかしく感じるけれど、異種ならばありふれていると思った。足もとと靴のように。

 

 

 

了―

 

 

#フォロー・ミー

#ミア・ファロー

わたしがブログを書く理由

 浴び続ける情報量と体験のなかに日々生きていると、眠っている間にみる夢だけでは、それらを処理出来ない。知覚は立ち上っては消えていくし、こんなにも違う1人ひとりの人間が、よくもまあ一応の秩序に治まりながら生きている。わたしは人間の不思議さに好奇心を持っている。以前は文章を書く仲間達との雑談や、書いたものを読み合うこともしていたが、ある時から、馴れ合いに危機を感じた。ものを考えるくせに、やや軽はずみなアクションを起こすせいで失敗も多く、瞬時に反省するが切り替えも速い。

 わたしがブログを書く理由は、スピード感が恐いからだ。
海のなかを群れで回遊する魚たちは、集団による感覚に優れてはいる。ずっと以前、海に潜り海中世界を観覧していたときのこと。アジ玉に向かって突っ込んでいく一匹のバラクーダを眼前に驚いたことがあった。群れの方向感覚はベストプラクティスとも言いきれない。
スピード感の恐さは、ツイッターをやらなかった理由でもあるかもしれない。ある速度感をもって流れていくのを見るのは好きだし、他者のブレスに近い文字列は、まとまった長い文章を読むときよりも、その儚さに触れられるのがいい。ツイッターはブログの文章を読むよりも、むずかしい。パズルのかけらを投げられるものだから、絵の全容がより捉えにくい。
「書くのは好きなんだけど、知らない人達に読んでもらう自信がないな」
はてなブログを始める前、友人に相談をした。友人はすぐにいくつかのブログサイトを教えてくれた。しばらくは、他のユーザーさんが書いている文章をただ読むだけだった。
コミュニティにいた頃は、書け、書けとお尻を叩かれては、厳しいことを言われ続け、続けるうちに書く楽しさよりも要求に応えきれない自分を責めるようになって疲れ果てていた。
「書くの、もうやめようかなと思ったりもする」
「気楽な気持ちで書いてみたら?、やめるのも自由だし」という友人の言葉に、それもそうだと思って、ウェブの上をお散歩するくらいの気持ちで書いてみることにした。マイペースではあるけれど、案外続いている。

 

おきゃくさん 3

 この夏、すきな子が出来た。
 すきになる予兆は祭りの日にあった。あの日、園庭では金魚やヨーヨーや提灯といった色鮮やかなものたちが子どもらの目を楽しませていたが、彼女はその日、色を統一していた。どの子もバラバラに選ぶ色を彼女はその日はオレンジなのだとあたかも決めていたかのように。
 それは娘と同じ歳のおんなのこだ。ダリちゃんと呼ぼう。その子のママはじき二人目を産む臨戦態勢で、今日は咳が止まらないといった内容のメッセージが来ていたので、咳止めシロップと桃のケーキを携えてひとっ走りした。
「上がって行きなよ」
 わたしと娘は自転車を降りて彼女たちの住む部屋に入った。白い家具が目立つ。白い電子ピアノ、白いおもちゃ箱、白い壁に祭りの日のオレンジや、他にもダリちゃんが作ったものが飾ってあった。五月に娘が持ち帰った鯉のぼりは大きな薄紫に太い鱗であろう線が荒っぽく引かれていたが、それに比べてダリちゃんの鯉のぼりは先ず真鯉と緋鯉の二段構えである。傍に寄って眺めると鱗の線も細いのから太いのまで書き分けられていた。糸にパステルカラーのストローを1cm程に切ったものを通した首飾りを見て、自分のちいさな頃を思い出した。そうそう、こうやってたの。切ったストローとストローの間に色紙でつくった小さい花を挟んである。
「うちの子はこんなふうに手の込んだ作業はしてこない」と、言ったらダリちゃんのママはこう言った。
「だけど、うちの子は話をしないのさ」
その時わたしはやっと気が付いた。窓の向こうのベランダにダリちゃんはひとりで遊んでいた。うちの中ではうちの子がダリちゃんのおもちゃを借りて遊んでいる。ダリちゃんは自分の家の外側からママを含めた私たちを見ながら遊んでいるのだ。
 私は少し窓を開けてダリちゃんに声をかけてみた。
「ごめんね、私たちが来てびっくりしたかな」
ダリちゃんは黒くて大きな瞳でじっとわたしを見たがうんともすんとも応えない。
「いつもそうだから気にしなくていいよ」
そのうち慣れたら入ってくるから、と言って、ダリちゃんのママは思わず沢山のことをわたしに話してくれた。ダリちゃんのママはほんとうは仕事をしたかったママなのだ。とても上手なイラストを描くし、IT関連の話も出来る。なにかの縁だろう、年が明けたら家がもっと近くなる、その頃彼女は0歳児を抱えて2度目の孤独と闘う。
「一人目とは違うしんどさがあると思うから、時々貴女を呼ぶと思うけど、よろしく」
 話がひとつふたつと山を越えた頃、ダリちゃんが室内に入って来てわたしの傍へ座った。
「お外、暑くなかった?」
「このお人形を見て」
 ダリちゃんの手に長い髪のリカちゃん人形があり、その髪には沢山のアクセサリーがついていた。ひとつひとつに櫛がついていて、人形の髪に挿しこんで飾るのだ。
「ダリちゃんはオレンジ色が好きなの?」と、聞いたが無言のまま彼女は人形の髪を梳いていた。
「2歳を過ぎた頃になってもこうで、不安になって色々話しかけるんだが反応が・・・・・・薄いんだよね」
「そうか。でも下の子が産まれたら変わってくるかも」
「それそれ、ちょっと期待してはいる」
 ダリちゃんのママは硬く大きなお腹を抱えておやつの用意をしてくれた。4人で白いテーブルを囲んでドーナツを食べたあと、帰り際にダリちゃんのママは野菜をくれた。咳止めと桃のケーキの御礼にと、箱いっぱいの夏野菜。田舎から送られてきたがじき産院だから消化しきれない、と。
 新聞紙の隙間をのぞくと、肥えたししとうがつややかな緑の肢体をくねらせていた。

 十日目のおきゃくさんは、媚びた卵管の色に似て、眼のふちにかすかに居坐っている。溶けた軟膏に下睫毛が張り付いてしまうのが更に左目よりも媚びて映る。おそらく、普段から右目は左目に妬いていたんだ。
 フン、左のお前は無垢な目でほけっと人任せの世過ぎしてっから弛むのも早えんだ。右のうぬが様にしっかと見てみろよ日々を。弛む暇なぞないくらい次から次へとやることだらけだ。知っても知らんでもいいようなことを知り、してもせんでもいいようなこともとりあえずこなして、解ったようなこと言ったりすんだ、よう左のお前、お前にはわからない苦労があんのよ、お前の方じゃ蹴っても起きない神経がこっち側ではビキビキ動いてんだ。お前なんか良いものしか見ようとしないだろう、この偽善者め!悪しきと認識するやその眼をつむって全てこっち側になすりつけてきただろう、オイ。お前が涼しく清い貌していられるのは右側のうぬが悪しきものごとを受け容れてきたからだという事実が解っているか?ヘイ。こっちからすればお前なんぞチャラチャラ着飾った老犬アフガンハウンドよ。こっち?そりゃ狩猟犬ダルメシアンよ。脂ののった働きもんよ。
 振り返るといつも負担は右側に集まった。
 長かった授乳期はとくに右側を酷使した。それである日突然、右腕が停止して、数カ月後に起動したのだが、あれにはわなないた。

 右目のおきゃくさんが姿を見せなくなった二週間目の朝。娘がこめかみのあたりに唇をくっつけて「やっといなくなったね」と言った。
 右の頬をさし向けて可愛いキスをたくさん浴びていると、照れくさいダルメシアンが濡れた鼻先をふんと鳴らすのが脳裏をかすめた。


―了―