アポリア

 かけるちゃんと遊ぶようになったのは、今から5年前の夏だった。夏だと覚えているのは、初めて自宅へ伺ったときに、かけるちゃんのママがくれたスイカの玉が、ほんとうに綺麗で、小ぶりではあるがズッシリ手応えのある重みに、もう見るからに美味しそうだったのと、実際にそのスイカが、あの夏一番美味しかった、と、記憶しているからだ。
 赤い果肉を噛んだとき、焦げ茶色のタネがとんだのを見た娘が、
「種!弾けた、はじけた!」と、笑ったのもよく覚えている。
 かけるちゃんのママとわたしは、幼稚園のボランティアで知り合って以降、まずはぽつぽつとお茶をする仲になった。
 彼女の堅実な人柄と、内に秘めた思いやりの深さの割に、ドライなところを好ましく思って、わたしもちょっとずつ心を開いた。
 ある日、いつもの喫茶店で、いつものようにカフェオレを注文したあと、彼女はテーブルの上におもむろに紙を置いた。
「うちの子、ちょっと変わっていて」
 発達障害検査の結果表を手際よく説明しながら、親子間のスキンシップを避けてくることや、何かを伝える言葉にも動作にも不足があること(例えば、指さしがない、目が合わない等)
 遊びは反復作業を好み、車輪まわしを延々と続けたり、ものを並べ続けたり、同じ映像の前にかじりついていること等を聞かせてくれた。

 彼女から、わたし(というより、初めてうちあけごとをする相手)の反応をやや警戒するムードが伝わってきたが、わたし自身、小学校低学年まで、それはそれは内にこもる性質で、友だちは一人だけ、遊びは専ら絵を描くことと、童話を読んでその世界に浸ることくらいだったので、かけるちゃんの話を聞いても特段驚かなかった。
 いわゆる自閉症とカテゴライズされるのだけれど、集団行動のなかで、協調性がしばしば破たんする。その破たんの仕方は、かけるちゃんの場合、わたしのもっていたそれより、外側へ向かうのだということが分かった。
 今、出会った頃を思い出したのには理由がある。つい最近、かけるちゃんの書いた手紙を見たからだ。
 なかみを知らせるのは、憚られるのでここでは書かないが、積もり、膨れ上がった内面の渦が堰を切った割に、破滅ではなく鋭利な情動として文面にあらわれていた。
 大変だな、と、思った。
 ただ、外側に向く性質であることはマイナスばかりじゃない、とも思った。
 分かりにくいものでも、分かりやすく表出するものは、周りも対策をしやすくなる。
「行ってきますをして、校門の前に着いたら、そのまま家へ帰ってくるんだよ」
 それが何度か続いた時点で、担任の先生と状況把握や指導のすり合わせができたら良かったんだけど、と、かけるちゃんのママは溜め息を漏らす。
 かつて、わたしも学校へ行かないことがあった。行くフリをして、毎日、図書館に行った。
 今思えば、あの頃の行為と、幼少期に自宅の本棚の前から動かず、ジッと物語の世界へ入りびたっていたのは、おんなじことだ。
 それが誰であろうが、ひとは等しく現実ばかりを生きることは出来ない。
 何かに、どこかに、誰かに、入りびたることもある。それは実に自然で、各々の均衡を保つ生きていることの証なんだと思う。命の危機のときだけは、周囲が気を付けてやればいいくらいの、それぞれの、いっときの、セイフティーゾーンだ。
 かけるちゃんがかけるちゃんであるための強制は少ない方がいい。(あらかたつくられた社会の、既存ルールを破れという話ではなくて)
 現実には、夜も眠れぬほど悩む日がこれからもあるだろうし、周囲の目もくるくると移り変わるなかで、大切なわが子を守る親の方が辛くなる時間と、その深さは計り知れないけれど、かけるちゃんの、黒曜石に似た大きな瞳に刻まれていくママの顔が、ぽかぽか、沢山、笑っていることを、願っている。