争いより愛を

 窓の外に流れる中洲の街を眺め、前日の夜に見たニュースのことを思い出していた。
 戦禍の子ども達は、腕に自分の名前を書いていた。それは死んだあと自分達のことを知らせる為だと話していた。私はひどく苦しい気持ちになって、しばらく涙がとまらなかった。
 ここ一カ月程で身の回りに起こっていた小さき人・幼い子たちのいじめ問題と、戦禍の子ども達との連想に、気分がふさぎがちだった。
 タクシーを降りてコンサート会場に着くと、こんどは胸がどきどき弾み出して、感情のふれ幅を少し恥ずかしく思った。
 同じ音楽家のコンサートに足を運ぶのは、一度読んだ本をまた開くのと似ている。
 今夜、私はフジコ・ヘミング氏の奏でるリスト・3つの演奏会用練習曲3番変ニ長調「ため息」を聴く間、ずっと涙を流していた。思い入れのある曲でもなく、前回のコンサートでは、ちがう楽曲に涙していた。
 「どうしてなのか分からない」だからこそ素晴らしい体験をさせてもらっていると感じて、愛するピアニストに心の底から感謝する。
 休憩中、隣に座っていた若い女の子から話しかけられたので、ピアノにまつわる雑談を楽しんだ。二部に入ると、ベルガマスク組曲「月の光」を、フジコ氏はとても軽やかに弾いた。やわらかく、あたたかい音色に背をさすられるように癒される。後半はショパンエチュードが続いた。個人的にフジコ・ヘミングが今夜一番輝いたのは、幻想即興曲だと思った。息をのむほどの音色だった。ずっとこの音色に包まれていたい、ずっとこうしていたいと願うほどだった。
 人は等しく老いるし、生き物はやがて死を迎える。それぞれの人は、その人その人が出逢うすばらしい年長者に気づく幸福を持っている。
 一人の人間を愛したら、その人を育んだ周りの人々にも感謝のきもちが湧くことがある。だから、一人でも多くの他者や生き物を、一時間でも一年でも愛せた時間は、かけがえない。


―了―

#ため息(3つの演奏会用練習曲S・144-3)(リスト)
#フジコ・ヘミング