フジコ・ヘミングの夕べ・Ⅲ 言葉はその感情の許容量をはかれない

 目が覚めると、父に頻繁に電話していた冬の頃を思い出す。


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どう?調子は、と聞いたら、こんなリハビリをした、こんな食事が出た、とか。院長回診があり縮小版白い巨塔みたいだった、とか。父は母と違って話を面白くする為に盛るとかそういうところがなく、言ってしまえば話は面白くないが、それゆえ誠実で純なところが際立つ。
「それじゃ、またかける」
「夏にはゆらと海水浴に行くけんな」
 まったく。自分の病気の深刻さをどのくらいに捉えているのか、能天気だ。昔から、会話をするとゆるやかなズレが生じる天然なこの父と、私はちょっと似ているらしい。小学生の頃だった。言葉をうまく繰り出せない父は、わたしの髪を掴んで熱湯にわたしの頭を沈めた。熱い湯のなかで息も苦しいのだけど、父がそのときほんとうに伝えたい気持ちが理解できないのが苦しかった。

 お弁当の下拵えをしていた。
 玉葱をスライスしソーセージを薄く切って、それぞれをラップにくるむ。パスタを少量茹でて湯切りし、タッパーに広げて油を絡める。油を絡めておくとお弁当に入れたときにもっちりとするのだ。そして食べやすいようにフォークでエスカルゴのようにひと巻きひと巻き並べる。
 ゆらは「ぱしゅた美味しかった!またかたつむりにしてね」と喜ぶ。
 今夜は少し暑く、夜が濃くなっても外の虫たちは演奏会を続けている。コオロギはやや前に出過ぎる。鈴虫は演奏が上手過ぎるから手加減してやりなさい。などと指揮者気取りで勝手なことを言いながら机の上に紙を並べた。

 仲間の音は外から響いているのに、君はひとり、部屋の片隅で鳴く。この家のひとが寝静まるのを待ち、静かな夜をひとり贅沢に鳴く。わたしのペンが走るのと彼の羽音は同じだけ孤独な贅沢だ。
「外へ帰りたくないの?」
「僕は一匹の虫として鳴きたいんだ」
 哀願する触角は強く健気だった。

 翌晩、夫は妻に言った。

 今となっては君と結婚している意味がわからない。

 ハンガリー狂詩曲第2番の気高き音調に夫の声が包まれた。

 あなたのことがわからない。と言った夫には彼が応えた。

 彼女は貴方と結婚する前にもう芸術と契ったのだから、芸術の毒を貴方が抜くことは殆ど不可能に近いのだよ。

 カネタタキの言葉が通じたか、

 君がそれらと更に親しく生きることになるなら、一緒にいる意味があるのか。などとも口にした。

 子どもの母親という役割をどこかの時点でわたしから切り離そうと言っているの?

 家族を巻き込まないようにしてくれ。いや、と言い澱み今度は、いいんだよ、と翻す。

 俺が苦痛になる生活者でなければね。生活者として俺が君に求める水準に達してくれたらね。


 言葉はその感情の許容量をはかれない。


 この夜、ゆらの熱が高くなり、わたしはゆらを抱いて夫と別の部屋にいた。
 ゆらはまるい耳を赤くして咳き込みながら、多く汗をかいている。ときどき冷たいタオルで拭いてやるのに下へ降り、おりる度に彼をこえを探すけれどこえがなく、わたしのなかにさみしさが充満する。
 ほら、あなたの時間だよ。鳴きなさい。遠慮なく鳴いていいよ。
 少し待ち、諦めて、ゆらの汗を拭き熟睡の音を聞いてからまた階下へおりた。

 どこにいるの。

 あなたみたいに虫一匹にそこまでの興味は湧かないよ。

 どこにいるの。お願いだから鳴いてよ、鳴け!と叫びそうになって声を殺した。死んでしまったのだろうか。生きていても弱っていないだろうか。弱った彼をくもが食べちゃったらどうしよう。
 床を這って小さなものを探した。それはゆらが貼り付けたシールだったり、石のようになった粘土の欠片だったり、糸くずだったりした。しばらく探したけれど彼は見つからなかった。

 朝の光が漏れる頃、ゆらの白く光る頬を見ながらわたしは泣いていた。目を覚ましたゆらが、ママ、どうしたの?と聞く。

 虫がいない。鳴いてない。もう死んでいたらどうしよう。

 忽ちゆらは情け深い顔つきになって、わたしを撫ぜた。

 大丈夫だよママ、虫は死んでないよ、大丈夫だからママ、泣かないでいいよ。


 
フランツ・リストはマカロニ料理が好きだったとか。

 

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