モーツァルトで一部が終わる頃、頬の上で乾いた涙が少しだけヒリヒリするので、化粧室に立った。
鏡を覗く。目が輝いている。こんな時、私はいつも思う。私よりも私を知る私がいて、この容れものに感謝する。何ひとつ、私は自分でつくっていない。目も髪も指も腸も背骨も、ぜんぶ授かってきた。それなのに、時々不安になり絶望する。愚かだ。
「やっぱりカンパネラはさいごの方だね」
老紳士が婦人に話しかけている。
「どの曲もすばらしいけれど、私も二部が楽しみです」と、会話に割って入った。
「普段からクラシックを聴きますか?」
「はい、とくに二部に並んだ曲は繰り返し聴くものばかりです」
「それはそれは」
良かった、と紳士は微笑んだ。
***
あの夜は天麩羅を揚げていた。
「今夜の油は元気がよすぎる」と言って、はねてくるのに度々のけ反っていたら、早く帰った夫が「おもしろい言い方だね」と言うので、ついでに彼のはなしをした。今夜も鳴くかしら、なにを食べるかしら、こうして野菜のヘタを少し彼の為に置いておこうかな。と、はしゃぐわたしに夫は言う。
「一匹の虫にそこまで興味はわかないよ」
また少しこころが離れた気がした。交わしてきた会話のひとつを思い出す。
「1+1が何故3になるの?教えて」
「信じ込むんだよ1+1は3だと、割り切れる奴しかIT業界には向かないよ」
「どうしてその業界を選んだの?」
「食う為。なんで3になるのと言い出す君には向かない。俺には君の言う、ことばの空間とか、そういうのは全く分らない」
いいよね、それで。という暗黙の言葉がいつも夫から生まれているようだった。
夜の深まりとわたしは相性が良い。相性が良いあまり、気をつけないと意識が拘泥する。
夜はひとりでにあらゆる感情を放出でき、その感情を包んでくれる。ぶつける相手などいない、ぶつけあうだけの、ぶつけるだけの感情ならば、そこから何が生まれる?互いのエゴをぶつけあうだけの関係なぞまっぴらだ。
夜は黙ってわたしの感情を受ける。だが、黙っているからひどくさみしい。階下に降りてボリュームをかなりさげ、クラシックを聴く。すると黙りこんでいた彼が鳴きだした。
チッチッチッチッチッチッチッ。
「センスのいい声ね」
見えない彼を称賛した。名曲は虫にも届くのでしょう。名曲が虫から生まれたこともあるでしょう。あなたたちはどこか一体なのでしょう。
名曲はわたしの放出しきれない感情をも汲み取って、彼もまたチッチッと鳴き止まず。
わたしと彼はリストに抱かれて感情を解放する。それは素敵な夜だった。孤独を分かつ夜だった。
天国のリストと鳴き止んだ彼におやすみと言ってわたしは眠り、夢を見た。
誰かがわたしの首を絞め、水のなかへと押し込め出した。夢だと判る、なぜなら夢でそのひとに殺されそうになったことは何度もある。そのたび哀しく恐ろしく、なんにも出来ないわたしの胸の上には大きな石がまたひとつ積み上げられた。
今日は違っていた。確かにそのひとは苦しげな貌でわたしの首を絞めてはいたが、わたしは柔らかく冷静な心持ちでなにかを伝えていた。
そのひとはわたしの首から手を離して困惑していた。その困惑はちゃんとそのひとのもので、以前のようにわたしにかぶせたものではないことが判った。そしてそのひとはわたしが憎いのじゃなく、愛するがゆえに首を絞めたのだ。
あらゆる感情の二元性は終わりを告げた。
つづく