オッパイ

 猛暑日の早朝、無事に彼女を出産した。出産ラッシュにあたってしまい、八月の出産予定者は三泊四日で退院しなければならなかった。結構な大仕事のあとだからもうすこし休息出来るかと思いきや、出産と同時に渡された過密スケジュールをただただこなす、入院というより合宿といった雰囲気の数日間を過ごしていた。陣痛体験や諸々は割愛することにして、過密スケジュールの大半を占めているのは授乳の時間である。三時間毎にガラス張りの新生児室でオムツを替えてから、隣の授乳室で赤ちゃんの体重を計ったあと授乳をしてまた体重を計る。やっと身体のなかから出てきた首のすわらない小さな命を抱いて、肌色の乳房を出すという不慣れな作業に平静を装いながら、わたしは内心不思議でたまらなかった。授乳室には他にも産まれたての赤ちゃんを抱く母になった女性の姿があり、同じように不慣れな手つきで我が子向かって乳房を捧げている。その姿がとても初々しく映る。
「どう?吸いつく?」
「いいえ、まず起きません」
 授乳の時は無理やりでも起こしていいからと、助産師さんは我が子の脇腹を強めにさする。
「あ、目が開いた」
 ぼんやりと宙をさまよう目はまだ乳房など認識できないでいるが、小さき人は繰り返し欠伸をするので、そこがチャーンスとばかりに乳首をふくませる。けれど頼りない口もとは直ぐに閉じて、また眠りこんでしまう。

「飲んでくれません・・・・・・し、わたしのオッパイも出ているのか、よくわかりません」陣痛時からお世話をして下さった助産師さんに聞くと、
「初めからびゅんびゅん出るひと、少ないから大丈夫」と慰めてくれる横から婦長さんの頭が覗き、わたしの乳房をマッサージしはじめた。
「いで、痛いです」
「双方がやる気にならないと出るものも出ないから」
「あら、右の方が出てきた、ほら優秀なオッパイよ」と豪快な笑顔で見守る婦長さんは、しばらく我が子のようすを見ながら、
「ふむ、赤ちゃんがまだやる気ないね」と言う。
 長い眠りから覚めた姫様に、突然過酷な肉体労働を要求するようなもんだなと思った。
「さっき、オムツを替えたとき、粘土質の緑色のうんちだったんですが大丈夫でしょうか」
「胎便は心配しなくていいから」と答えて婦長は別室へ去って行った。ふーん、あれは胎便と言うんだ。新たに知ることばかりである。授乳クッションの上に我が子の頭を右に寝かせ、乳頭から少しずつ漏れてくる黄色の液体を、なかなか開かない小さな口もとへ何度も運ぶ。
「この初乳って大事らしいぞぉ、ほら、頑張って起きろー」
「右側はこうして右腕に抱えるとやり易いから」と、助産師さんのアドバイスに従って我が子を抱いて右胸の授乳を練習する。
「これはラグビー抱き、左は普通に横抱きであげればいいから」
 ラグビー抱きでトライするも、我が子は吸いつく前に力尽き眠ってしまう。
 時間内にうまく授乳が出来ず、わたしはまだ疲れがたっぷり残るからだを引きずって個室へ戻った。


 結局、入院3日間中に我が子がオッパイにむしゃぶりつくことはなかった。義母はわたしの出産から2週間で遠くへ行ってしまうことは結婚前から決まっていたし、
「わたしは母乳がほとんど出なかったからオッパイのことは解らないのよね」と言ったきり、ほんとに全くノータッチで、あとはバタバタと仕事の引き継ぎに毎日明け暮れて帰宅も遅く。わたしはなんだか新しい未来をこの腕に抱きながら同時に取り残された気分でいた。義母と入れ替わりで実家の母が手伝いに来てくれるまで、オッパイに関してはどうしてよいか分からず、母乳育児を半ば諦めてせっせとミルクを作り、50cc作ったが20しか飲まない、とか、60ccを一気に飲めたとか、時間区切りの育児ノートに書きこんでいった。母になったわたしでさえまだ不思議な気持ちでお世話をする我が子を、夫はわたしよりも親になった実感が湧きにくいのか、愛犬に接するときとさして変わらぬようすで、それを感じる度にわたしはキレていた。
「ペットより我が子のほうが大事でしょう」
「バッハだって家族だろう」
「そうだけど犬は犬でしょう、どうして赤ちゃんのことを先に考えないの」
「考えてるよ、だいたいなんでそこまで怒るんだよ」
 と、こんな風に夫は言っていたが、ペットはある程度じぶんのペースでお世話できるが新生児のお世話は滅私だという事実を始めの頃は受けつけないでいたし、わたしが怒る理由も分からないでいた。昼も夜もなく自分がトイレに行くことすら忘れる生活のなかで、こんな日々が続いたらいつか本当に自分を失くしてしまうのじゃないかと、まだ産まれたての子を胸に抱いて幸福とばかりは言えないような複雑な気持ちになることもあって、またそう思ってしまうことに少しの罪悪を感じていた。

***
 昼間。彼女は寝室のロールカーテンの隙間から射すかすかな光をぼんやりと見ては眩しそうに目を閉じる。軽く握られた拳がひらいて招くように動く姿がとても神秘的に映り。赤ちゃんは皆、神様からおくられて来たのではないかと思わせた。
 わたしの母がわたしの娘を抱いている。その姿を見て、わたしはあんな風に母の胸に抱かれていたのだと何故か懐かしいような気持ちになる。母とわたしはウマが合う方ではない。母から早く離れたくて、完璧な自立ができないでいるくせに、二十代なんてまるで自分ひとりで生きているかのようになにかと闘っていた。母のことがいつも重たく、うっとおしく、まる二年間会わないことがあった。母はわたしに、わたしから逃げた、と言った。それは今でも時々聞く言葉だが、わたしはこの言葉を聞くと今もとてもつらい。
「とんぼの眼鏡は水色眼鏡♪」
 わたしの娘の髪をふうわり撫でながら、母は歌う。
「この子は歌が好きよ、ほら」
「そうなの?」
「歌ってあげなさい」
 童謡を口ずさみながら、
「あのさ、オッパイって大事?」
「そりゃあ母乳が一番いいに決まってるの」
 ふうん、と、うつむいたわたしに母は、
「ちょっとやってみなさい」と言うので、おもむろに乳房を片方取り出して我が子の口もとに運んだ。
「ああ、それじゃ吸いにくいから、こうするの」と、母は人差し指と中指で乳房をつまむやり方を教えてくれた。我が子は薄目を開いて乳頭に吸いつき、そこそこの力で吸引し始める。
「吸ってるみたいだけど、これ、出てるのかな?」
「出てなくても吸わせることでだんだん出るようになるから」
「このときばかりは哺乳瓶のようにオッパイも透明だといいよね」
 母はふふふと笑いながら、
「あんたのときは難産で母乳出なかったのよ」と言う。
「風ちゃんのときは?」
「あの子はオッパイもミルクも、まだ飲むのってくらいよーく飲んだ」
「風ちゃんはだから健やかに育ったのかな」
「そうかもね」
 だったら何としてもリンリンには母乳をたっぷりあげたいと思った。


 小学校低学年の夏休み。わたしは一度だけ意識不明になったことがある。それは自分でもうっすら覚えている。

 

 

<続>