おきゃくさん 1

 二、三日前から右目のふちが痒いから、綿棒でつついていた。そうしたら四日目の夜にそこがぷうーっと腫れる。
「おきゃくさん来た」
 瞬きするたび、じいいん、じいいん。痛みより熱っぽさが勝つ。涙袋がめくれた唇のようにふくれた。時々睫毛が刺さって痛む。日常のなかには呼びもしないのにふらっとやってくる奴らがいて、地味だけど結構どっかっと居坐って、もうはよ帰って!と言っても中々帰ってくれない。それでいつのまにか、おらん。

 子供の頃にトラウマになったことがある。そいはじいさんのせいばい、と、父さんは言うのだけど全くそうかもしれない。わたしはスライサーが怖くて使えない。ついでにピーラーもこわいから、めんどうでも包丁をつかう。
 少女の頃、おじいさんの好きな鯖と胡瓜と生姜の酢の物をつくる手伝いをするのにスライサーを使っていたのを、おじいさんはそばで見とった。ひとに凝視されるのが苦手だった少女は、たとえ身内の視線でも耐えられないときがあった。震えだした指をスライサーで切り、ひとさし指の肉の腹からあかい血が滲んできた。おじいさんはそれを見て、おもむろに吸っていた煙草を灰皿にもみ消し、中の葉を取り出して、肉の腹に押しつけてきた。指先に俊足の稲妻が走った。

 このところ招かざる客はちょっぴり増えていた。外側の来客をいちいち気にしていては神経が休まらず、内側の負担になっては不味いから、どこかで諦めも必要とおもい出す。
「夕飯を作らなきゃ」
 おきゃくさんのとこへ眼帯をかぶせてみたら、やにわに狭まった視界の先のまな板に横たわる透きとおったシマアジのさくが、いつもより濃く小さく映る。すっすっと包丁を入れ終えて、山葵醤油にそのひと切れをくぐらせて味見する。あ、おいしい。
 包丁で指を切ったことは未だない。そんなに料理をしないのかと聞かれそうだが、基本は週に五日間やることにしている。死んだおじいさんがくれた恐怖はわたしの指先を臆病かつ慎重な性質に仕立てた。人の身体は案外ほかからの刺激に従順で影響も受け易く、そして暗示にかかり易いような気がする。死んだおばあさんはいつも右手の五指をさすっていた。おばあさんは脳溢血で倒れたあと右手と左脚が思うようにならなかった。よく覚えている。あの日曜日の朝、小さいわたしはお腹がすいたと言い、おばあさんが饂飩を茹でてあげようと言って起き上がり、ふたりして台所に立ったのだ。ゆがいた饂飩をざるにあげて冷水でしめようと給湯器を押した瞬間だった。右手が宙に舞い仰向けにごとん、と、おばあさんは倒れた。
 あのときは胸の奥がなにかに細かくすりおろされる感じがした。二階に駆け上がって父さんを起こした、母さんも後からおろおろと下りてきた。
 おばあさんは術後順調に回復する。脳は元気、言葉も達者、もとが口八丁手八丁のところの手八丁分が衰退したのだが、それでも杖をついて片脚に力を入れて歩き、よくまわる頭と口で家族を動かした。先ずは母さん、そのつぎはおじいさん、つぎにわたし、いもうと、その誰もが掴まらないときに息子である父さんを呼ぶ。わたしはよく銀行に行かされた。おろしたお金で買い物を頼まれた。そしていくらかのお小遣いを渡されて、それで漫画の月刊誌を買うのが楽しみだった。


つづく