おきゃくさん 2

 

 リーフ形の皿にシマアジの薄造りをのせて刻んだ紫蘇をふる。紫蘇は最近やっと克服したもののひとつだ。料理本に飽き、クックパッドに飽き、はて料理に飽きないようにつぎは何をしようと考えていたら、ユーチューブに気に入った料理人を見つけた。料理人といっても彼は料理が好きな素人であるし、なにが良いかって人柄がなんとなく好ましい。先ず顔は出さない、手先と調理器具と食材だけだ。その調理器具も食材もきばった物ではないが鍋もフライパンもコンロも明らかに料理好きが使いこんだものとわかる。そして懐にやさしい。予算内で結構旨そうな日常の料理を作る。おおもの言いはせず、余計なことも言わない。それがたとえ計算された編集であっても心地よく見れる。彼が紹介していた和風パスタを作ってみてからだ。わたしは長年食べられないでいた紫蘇を克服し、しばらく毎日同じパスタをランチに作り、その微妙な味加減を楽しんだ。醤油がいいか麵つゆがいいか、出汁はどの出汁にするか、にんにくの分量やら茸の厚みやらを微調整しながら飽きもせず3週間程同じ昼食を食べた。そうするうちに紫蘇の個性が思ったより強いものだと感じ出し、紫蘇を食べるのを中断した。食わず嫌いと同じくらい食べ過ぎて嫌になることを恐れた。そういうのはたまにある。

 

 おきゃくさんが来て五日が経つ頃、もう市販の目薬ではかなわないくらい腫れ上がった片目を鏡でじぃっと見ていたら、何だかじぶん出目金になった気分でゴーグルをつけてお風呂に入ろうと思い立ったが、あいにくゴーグルはなかったので久しく放置していたスキューバ用のマスクをつけてみた。初めて、マスクをつけたときはタダナラナイ恐怖に襲われたのを思い出す。見えていた世界が狭まるというのはこんなにも精神的にダメージをくらうのだ、と、そのときは思ったのだ。それは同時に新しい世界を見ることに繋がるのだが。

 なにやってるのー!こどもが笑った。

「眼科に行こうか」

 準備して子供の手を引き眼科に出向いた。すごく感じの良い受付のあと、すごく愛想のない女医が診てくれて、すごく丁寧な薬剤師から処方箋を受け取った。これを日に三回塗っていたら徐々に腫れが治まって気分も晴れてきた。わたしの容れものはわたしとともにゆるゆる弱くなっている。父が倒れたが思ったより順調に回復して仕事の合間にウォーキングを取り入れたようだ。もともと健康管理をする人だったが旨いものと酒は取り過ぎだったから、ご先祖さまに喝を入れられたんだと思うようにした。そういえば去年は毎年巣作りに来るつばめが一羽残らず烏に襲撃されたらしいが、今年はつばめの巣がふたつも出来たから糞の掃除が大変だと言っていた。去年の暮れに見舞った父の、病室のベッドから向けられた優しい笑顔。わたしの眼や心、細胞のぜんぶで切り取ったそれは、写真より写真となって焼き付いた。良かった。探し出してみる写真とは違ってそれはいつだって何度も見たいときに見れるんだもの。

 

 七日経って再び眼科へ出向いた。痒みがつよくなって思わず掻いてしまい今朝腫れていたからだ。受付は前回より素っ気なく、医者は前回より柔和に世間話を少し交え、薬剤師は前より更に親切だった。

 新しい軟膏を使いきる頃、首尾よく完治して欲しい。念のため、目周り専用の清浄綿を買って帰宅した。

 掌に流水を注ぎながら目をぱちぱちやって乾きたてのタオルで軽く水気を拭き取ったあと、綿棒の先に軟膏を少量のせた。それを右目に居坐るおきゃくさんの上にそっと置いたらじわじわ溶けて眼球に入る。視界がぼやける。いつでもこんなふうに眼の中に水母がいるようではかなわない。そういえば、おきゃくさん来る少し前は鼻の奥に蛞蝓が寝っ転がっていた。あれは初めての来客だったから、取り敢えずお茶を出すつもりでザジデンを入れてやったら、三日ほどで出て行かれた。居心地が悪くなったのだろう。

 

 

つづく