おきゃくさん 3

 この夏、すきな子が出来た。
 すきになる予兆は祭りの日にあった。あの日、園庭では金魚やヨーヨーや提灯といった色鮮やかなものたちが子どもらの目を楽しませていたが、彼女はその日、色を統一していた。どの子もバラバラに選ぶ色を彼女はその日はオレンジなのだとあたかも決めていたかのように。
 それは娘と同じ歳のおんなのこだ。ダリちゃんと呼ぼう。その子のママはじき二人目を産む臨戦態勢で、今日は咳が止まらないといった内容のメッセージが来ていたので、咳止めシロップと桃のケーキを携えてひとっ走りした。
「上がって行きなよ」
 わたしと娘は自転車を降りて彼女たちの住む部屋に入った。白い家具が目立つ。白い電子ピアノ、白いおもちゃ箱、白い壁に祭りの日のオレンジや、他にもダリちゃんが作ったものが飾ってあった。五月に娘が持ち帰った鯉のぼりは大きな薄紫に太い鱗であろう線が荒っぽく引かれていたが、それに比べてダリちゃんの鯉のぼりは先ず真鯉と緋鯉の二段構えである。傍に寄って眺めると鱗の線も細いのから太いのまで書き分けられていた。糸にパステルカラーのストローを1cm程に切ったものを通した首飾りを見て、自分のちいさな頃を思い出した。そうそう、こうやってたの。切ったストローとストローの間に色紙でつくった小さい花を挟んである。
「うちの子はこんなふうに手の込んだ作業はしてこない」と、言ったらダリちゃんのママはこう言った。
「だけど、うちの子は話をしないのさ」
その時わたしはやっと気が付いた。窓の向こうのベランダにダリちゃんはひとりで遊んでいた。うちの中ではうちの子がダリちゃんのおもちゃを借りて遊んでいる。ダリちゃんは自分の家の外側からママを含めた私たちを見ながら遊んでいるのだ。
 私は少し窓を開けてダリちゃんに声をかけてみた。
「ごめんね、私たちが来てびっくりしたかな」
ダリちゃんは黒くて大きな瞳でじっとわたしを見たがうんともすんとも応えない。
「いつもそうだから気にしなくていいよ」
そのうち慣れたら入ってくるから、と言って、ダリちゃんのママは思わず沢山のことをわたしに話してくれた。ダリちゃんのママはほんとうは仕事をしたかったママなのだ。とても上手なイラストを描くし、IT関連の話も出来る。なにかの縁だろう、年が明けたら家がもっと近くなる、その頃彼女は0歳児を抱えて2度目の孤独と闘う。
「一人目とは違うしんどさがあると思うから、時々貴女を呼ぶと思うけど、よろしく」
 話がひとつふたつと山を越えた頃、ダリちゃんが室内に入って来てわたしの傍へ座った。
「お外、暑くなかった?」
「このお人形を見て」
 ダリちゃんの手に長い髪のリカちゃん人形があり、その髪には沢山のアクセサリーがついていた。ひとつひとつに櫛がついていて、人形の髪に挿しこんで飾るのだ。
「ダリちゃんはオレンジ色が好きなの?」と、聞いたが無言のまま彼女は人形の髪を梳いていた。
「2歳を過ぎた頃になってもこうで、不安になって色々話しかけるんだが反応が・・・・・・薄いんだよね」
「そうか。でも下の子が産まれたら変わってくるかも」
「それそれ、ちょっと期待してはいる」
 ダリちゃんのママは硬く大きなお腹を抱えておやつの用意をしてくれた。4人で白いテーブルを囲んでドーナツを食べたあと、帰り際にダリちゃんのママは野菜をくれた。咳止めと桃のケーキの御礼にと、箱いっぱいの夏野菜。田舎から送られてきたがじき産院だから消化しきれない、と。
 新聞紙の隙間をのぞくと、肥えたししとうがつややかな緑の肢体をくねらせていた。

 十日目のおきゃくさんは、媚びた卵管の色に似て、眼のふちにかすかに居坐っている。溶けた軟膏に下睫毛が張り付いてしまうのが更に左目よりも媚びて映る。おそらく、普段から右目は左目に妬いていたんだ。
 フン、左のお前は無垢な目でほけっと人任せの世過ぎしてっから弛むのも早えんだ。右のうぬが様にしっかと見てみろよ日々を。弛む暇なぞないくらい次から次へとやることだらけだ。知っても知らんでもいいようなことを知り、してもせんでもいいようなこともとりあえずこなして、解ったようなこと言ったりすんだ、よう左のお前、お前にはわからない苦労があんのよ、お前の方じゃ蹴っても起きない神経がこっち側ではビキビキ動いてんだ。お前なんか良いものしか見ようとしないだろう、この偽善者め!悪しきと認識するやその眼をつむって全てこっち側になすりつけてきただろう、オイ。お前が涼しく清い貌していられるのは右側のうぬが悪しきものごとを受け容れてきたからだという事実が解っているか?ヘイ。こっちからすればお前なんぞチャラチャラ着飾った老犬アフガンハウンドよ。こっち?そりゃ狩猟犬ダルメシアンよ。脂ののった働きもんよ。
 振り返るといつも負担は右側に集まった。
 長かった授乳期はとくに右側を酷使した。それである日突然、右腕が停止して、数カ月後に起動したのだが、あれにはわなないた。

 右目のおきゃくさんが姿を見せなくなった二週間目の朝。娘がこめかみのあたりに唇をくっつけて「やっといなくなったね」と言った。
 右の頬をさし向けて可愛いキスをたくさん浴びていると、照れくさいダルメシアンが濡れた鼻先をふんと鳴らすのが脳裏をかすめた。


―了―