白い夜の月 6


 白髪まじりのカーリーヘアを無造作にまとめた髪に、唇だけ濃いリップにふちどられ、あとはノーメイク。不詳ではあるが60前後と見受けられるその人は、対象年齢およそ20代から30代のショップへ堂々と踏み込んでくる一種異様なムードをもっていた。

 この間、お取り置きしてもらったアレ見せてくれる?

 かしこまりました。

 黒いカーディガンはフォックスファーの襟付き、ボタンはクリスタルで華やかさのある一枚だ。色は5色展開、1度完売して再入荷したものも残り僅かの人気商品。

 いつまで置いといて下さる?

 1週間後で承りましたからあと3日です。

 わかった、3日ね。おいくら?

 1万6千8百円です。

 このやり取りを20回ほど繰り返した。

 期間が過ぎたらどうするの?

 人気の商品ですから、店頭に出させて頂きますし、売れてしまったら申し訳ありません、必ずご購入頂ける保証はございませんので、ご理解ください。

 わかってる。わかってるわ、と言いながらカーリーさんは店を出て行った。
 
 3日後の閉店まで待ったが彼女は現れなかったし連絡もなかった、4日目の午前中に顧客のひとりである曽根さんがやってきて、フォックスファーのカーディガンが欲しいと言った。ボディーに着せたベージュのものを試着したが彼女は少しぽっちゃりとしていたので、細く見える色が欲しいと言った。残る色は薄いピンクとさし色に一点だけ入れた濃いピンクだけだった。曽根さんはモノトーン以外の色では薄いピンクか冒険して水色を、インナーとしてなら着る、というくらい色に冒険しない方だったが、デザインと接客を好んでくれていた。わたしはカーリーさんのお取り置きであった品物から伝票を外して再度日付を確認した。昨日の日付が確かに記されている、それを剥がしてファイルにしまい、曽根さんに告げた。

 ラス1で黒が御座います。生産が終わったのでこれで最後なんですよ。

 それをもらいます。
 
 曽根さんは満足そうに品物を抱えて店を出た。

 この日はランチに入るまでに切り取られたタグがぶ厚く重なって気分上々だった。巡回中の部長をつかまえて次の買いつけ額アップを交渉し終え、ミラノサンドを片手に星新一を読んでいると、携帯電話が鳴り、至急売り場に戻れと言ったのは関さんだ。

 カーリーさんは赤い眼で怒りを顕わにしていた。その眼から発火して髪の毛が燃え盛るのを想像してしまった。星新一のせいだろう。

 まことに申し訳ございません。

 関さんが謝る話ではないですよ。
 
 うるさい!

 カーリーさんはわなわなしている。なぜそんなに怒るのだ。
 
 あんた、わたしは3日経ったら来ると言ったでしょう。

 ですから3日お待ち申しておりました。

 3日空けたから来たのに、商品がないってどういうことだ。

 しかし、お渡しした控えに期日は書いてございます。

 分かっとる!昨日の日付がちゃんと書いてある、眼は悪くない、だから今日来た。

 事情を聞いて関さんは彼女をなだめ始めた。わたしは本社の担当に電話して事情を話し、どこかの店舗に在庫がないか確認を頼んだ。

 昨日で約束の日が終わった、だからわたしは今日来た、ほら見ろと銀行の封筒を関さんに突き出している。関さんはそのはき違えについて優しく丁寧に説明してくれているが、カーリーさんはわたしの詫び方が足りないと言ってなかなか怒りを鎮めない。しばらくして担当から折り返しの電話が来たが、どこも品薄で黒とベージュは完売という返事だった。その旨を話して再々詫び続けて2時間ほど経過してようやく落ち着いたカーリーさんは店を出た。もう来ないとは言わなかった。また来るけど気をつけろと言って帰った。

 もう来なくてもいいとも思ったが、来たら以前より注意を払わなくてはならないだろうか。関さんと担当に御礼を言って休憩に入りしょげているところへ部長が現れた。美味しいもの食べさせてやるから、20時にここ、と、手描きの地図をくれた。

 小さな雑居ビルの2階にL字型の清潔な小料理屋が入っていた。部長はそこでひとり熱燗を飲んでいた。その夜、部長と話した仕事のことはすっぽりと記憶にない。話の記憶を残さないように、空きっ腹に熱燗を飲まされたのかもしれない。これが美味しいのよと言って、部長が勧めてくれた茶碗蒸しを食べた。銀杏と蒲鮮、椎茸に三つ葉、かしわともちふが小さく寄り添った上に少量のわさびを封じ込めたあんがかかっていた。

 美味しい、部長、これ美味しいです

 部長はわたしの背を軽く叩いて、熱燗を注いでくれた。飲むのねぇと言って、どんどん注いでくれた。わたしはすこし泣いたかもしれない。

 


つづく